[塾生]本田千尋

  • 2011年5月20日

[特集]桜の花咲くころにー2011.5.3.宮城県牡鹿郡女川町にてー/バスケットボール


 言葉を抉られた。喉底からは何も出ない。ただ暗闇が呼吸する。

 鉄筋の骨組みと化したビルの屋上にシルバーの乗用車が載っている。道路の両脇には瓦礫の山が続いていく。無残にひしゃげた車がただそこにある。重厚で巨大な自衛隊の災害対策車両が砂塵を巻き上げながら走行する。
 タクシー・ドライバーが、あれが女川駅ですよ、と示す方を見る。言われて初めて分かる駅舎のような建物はある。プラットホームは影も形も無い。枕木も無い。レールも無い。白と緑の列車は、遠く、山の中腹にある墓地の中に横転していた。
巨大な怪物が暴れた跡のような、戦火の後の焼け野原のような、全てを超えた光景が目の前に広がる。
 タクシー・ドライバーは呟く。
「これが現実ですよ」
 海鳥の群れが、女川港を舞う。波は穏やかに漂う。青は深い。
 避難所となっている女川町総合体育館の入り口脇に置かれた古いテーブルの上には、何時の日にか撮られた写真の数々が、持ち主の訪れを待っている。
 泥の跡を、覗かせながら。

 少し、また少しと子供たちが集まり始めた。女川町総合体育館の裏にある山の斜面を削り造られた緑の広場で、bjリーグ、仙台89ERSのチア・メンバーによる手ぬぐいストレッチが行われている。
太陽は眩しく、微かに汗ばむ。桜が咲き始めている。工事の音がする。風景はどこにでもある5月の連休の運動公園のようである。早春の匂いの中、女川に慰問に訪れたバスケットボール男子日本代表竹内公輔、同じく女子日本代表大神雄子、89ERS所属高橋憲一が、チア・メンバー、子供たちと一緒に手ぬぐいストレッチに興じている。
 しかしふと目をずらすと、野球場の中には自衛隊の駐屯地が、テニスコートには自衛隊が設立した仮設の浴場がある。やはりここは、宮城県牡鹿郡女川町、津波により甚大な被害を被った土地なのである。
「私たちは色々な被災地を回ってこうした活動を行っているんですけど、やはり最初はこう、被災者の方々の中に入っていく、ということで構えてしまっているところがありました」
 チア・メンバーの一人は言う。
 表情は少し暗い。子供たちの顔には、被災の爪跡とも言うべきか、少しの緊張が入り混じっている。
「私たちがやろうとしていることは、こう、被災者の方々を、普通の日常に戻す作業、というか。手ぬぐいストレッチといった活動を行っていくうちに、構える必要はないということが段々分かって来て。地震が起きて、もう大分時間が経っています。被災者の方々も、日常に戻って、戻ろうとしている。普通の日常に戻るお手伝いをしたいんです」
 ふと気が付くと子供の数はかなりのものになっていた。遠巻きにお父さん、お母さんたちが見つめる。微笑みと、温かい眼差しで。テニスコートの傍に設置された物干し竿には洗濯物が陽を浴びて風に揺れている。
 大それたことをする必要はない。子供たちの顔に、いつもの笑顔が戻ってくれれば。
 「体操に『手ぬぐい』を使うのも、日常を感じさせるアイテムだからです。そのままプレゼントして、そのまま使えますから」
 竹内、大神、高橋の三選手も、すっかり溶け込んでいる。
 チア・リーダーの大きな掛け声が鼓膜を優しく揺さぶる。
 子供たちには、笑みが零れた。

 女川はスポーツが盛んな町なのだという。
「サッカーのチームや、ソフトボールのチームもあって。ソフトボールの日本代表が合宿をやったこともありましてね。そう言えば女子のミニバスケットボールのチームが全国大会に出場する筈だったんです。チームの名前は…」
 仙台から石巻に向かう高速バスで隣り合わせた男性は言った。男性の家は石巻から女川に向かう途中にあるそうだが、高台にあったため奇跡的に家屋も家族も無事だったのだそうだ。
 手ぬぐい体操は終わり、女川第一中学校の校庭に移った。
 三班に分かれ、それぞれ、ボールハンドリング、パス、シュートを行う。
 大神の「出来ないと言わない。まずやってみる」という威勢のいい声が響く。
 終了後「子供と接するのはちょっと苦手」と照れ笑いを見せた竹内も楽しそうだ。
 設置された移動式のリング下では、高橋とチア・リーダーと子供たちが順にシュートを打っている。
 子供たちの嬌声が聞こえる。
 ヒトが、人として、誰かにしてあげられることは何だろうか。そして、それは日常、非日常を問うものだろうか。
「エンジェルス。最近はサッカーをやる子も増えているみたいですよ。ベガルタ仙台の影響なんでしょうね。ベガルタが勝つと?やっぱり、嬉しいですねえ」
 バスで乗り合わせた男性は頬を赤らめ満面の笑みを浮かべた。
 女川フィーバー・エンジェルスは女川町にあるミニバスケットボールチームである。3月29日から31日までさいたまスーパーアリーナで開催が予定されていた第42回全国ミニバスケットボール大会に宮城県代表チームとして出場する予定だった。大会は、中止となった。クリニックに参加する子供たちの中には、エンジェルスのメンバーもいる。
 大神は一際大きな声を響かせている。
 「私もバスケットボール選手。あなたたちもバスケットボール選手。何も変わらない。これからも何かに挑戦し続けてほしい」
 WNBAへの挑戦のため、アメリカ、フェニックスへと向かう大神は、自身を奮い立たせるかのように、子供たちを鼓舞した。
 クリニックの最後に、女川フィーバー・エンジェルスのメンバーを囲んで、記念撮影が行われた。カメラを向けられる。子供たちは照れ笑いを見せる。シャッターが押される。新しい写真が、女川の歴史に加わる。
 ホトトギスの鳴き声がする。

 スポーツに特別な力は無い。圧倒的な津波の破壊力がもたらしたものを前にそう感じた。残念ではあるが、あれだけの破壊力を前に有効なものは何もない。全てのものはほとんど価値を持たないかに思えた。小さな子供が、お店屋さんごっこをするためにボール紙で拵えたおもちゃの貨幣のように。
 しかしスポーツは、いつもの笑顔を、わずかな時間でも人の顔に咲かせることはできる。人は、誰かの顔に笑顔を咲かせることができる。
 そしてチャリティー・マッチや選手による募金活動とったスポーツの持つ「集金力」を生かして、継続的に義援金を贈る。味気ないかもしれないが、それが震災といった危機の時に、スポーツにできることである。

 女川町から石巻市内へと戻る途中、タクシー・ドライバーが言う。
「今は何事も無かったようですけど、市内も浸水してね。大変でしたよ」
 目を凝らすと建物には当時の水位を現す泥の跡がある。郊外にある大型スーパーも営業を再開し、石巻市内には徐々に日常が戻りつつある。
「この辺は今が桜の見ごろですけど、今年は流石に花見をやる人間はいませんね」
 顔を赤らめながら、冗談交じりに運転手は笑う。いつもの笑顔で。

 町の再建にどれだけの年月を要するかはわからない。
 桜の花が固く閉ざされた蕾から少しずつ顔を覗かせ咲いていくように、2011年5月3日に垣間見えたいつもの笑顔が、一つ一つ女川に戻り行くことを願う。ありきたりの毎日が、一刻も早く女川に再び訪れることを。

 豊かな海と、美しい桜とともに。



[特集ページ]震災後のスポーツ

[塾生]本田千尋



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