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真実は一つではない【江夏の21球より】
なぜ、スポーツノンフィクションが読むのか?
読了した時、たった一つの揺るぎない真実を知ることができるからである。それはまるで、ミステリー小説を読むように、唯一の真犯人を知ることこそが、スポーツノンフィクション読む理由だと思っていた。
だが、間違いだった。
真実は一つだけではないのである。
自分の手でスポーツノンフィクションを綴ってみて初めて、選手の数だけ真実があるという、当たり前のことに気付かされた。
選手に同じ質問をしてみる。
勝つために一番大事な事は何ですか?
ある選手の答えは気持ちだった。
また、ある選手の答えは連携だった。
当然である。サッカーなら、ピッチ上にいる選手の数だけ真実が存在するし、野球もまた然りである。
山際淳司さんの、そしてスポーツノンフィクションの代表作である「江夏の21球」を改めて読んでみた。
主人公は江夏豊である。絶体絶命の状況の中で、江夏の心がどのように動いたかを丁寧に聞いている。江夏だけではない。味方の選手や対戦相手の選手、さらには中継していた解説者までの言葉も丁寧に聞いているのだ。主人公だけではなく、ライバル、脇役、引きまわし役、すべての役柄にスポットが当たっているのである。
もちろん、主人公が江夏豊であるから、江夏の言葉が中心に綴られている。だが、物語のキーポイントは、チームメーイトである衣笠が江夏にかけた言葉である。山際淳司が綴った「江夏の21球」の中で、衣笠はこのワンシーンしか登場していない。だけれども、衣笠の言葉は、江夏を救う。江夏が21球で試合を終わらせるために、なくてならない言葉なのである。
逆説的に言えば、江夏が21球で試合を終わらせるためには、衣笠だけではなく、球場にいたすべての選手の言葉や行動が、一つもかけることなく必要なのである。もしかしたら、観客や視聴者の一挙手一投足までもが、江夏の21球のために不可欠なのではないかとも思ってしまった。
おそらく、著者の山際淳司の出発点は、なぜ江夏が絶体絶命のピンチを切り抜けることができたのかだと思う。そして、取材を重ね一つの答を出した。
偶然ではなく確信的に江夏豊は、相手のスクイズを悟っていた。
これは江夏の真実である。だが、球場に存在した無数の真実の一つでしかない。
以前、読んだ時は、江夏の真実だけしか読み取ることができなかった。だけど、今は、無数の真実を感じることができる。
スポーツノン・フィクションとは、たった一つの真実に結論づけることではない。むしろ、無数の真実を拾いあげて、並べ、吟味することにあると思う。そして、一つだけ答を導き出すことができたのなら、それは無数の真実が紡ぎ出した白黒という結果にすぎないのである。
(丹野洋一郎=文)







