[塾生]波多野詩菜

  • 2010年11月7日

[特集]そこに無いもの

 坊主は好きだ。さわやかで、頑張っている気がして、応援したくなる。日本の大切な文化の一つでもある。強制される坊主には疑問を感じるが、私はいたって坊主頭の肯定派だった。

 「お」の大合唱が始まる。理由は本人たちにも分からない。けれど叫ぶ。早稲田実業高校の野球部には「部則」がある。先輩に球を投げる時、受ける時、必ず「お」と叫ばなければならないのだ。30年前に卒業したOBともこの話題で盛り上がるくらい、古くから変わらず部員に受け継がれている。
 入部前に坊主にする。電車は1両目にしか乗ってはならない。電車の中で下に荷物を置いてはならない。帰り道のお店の立ち寄りは禁止。ワイシャツの下は白いランニングシャツのみ。学帽は絶対着用。代々先輩から伝わる部則は他にもいくつも存在する。下級生はそれらを忠実に守らなければならない。何か一つでも破ると罰を与えられる。五厘刈りだ。

「さすがに五厘刈りは抵抗ありましたね」

 かの斎藤佑樹と同じ代で、当時マネージャーを務めていた及川は笑う。部員のなかでも特に素行が見つかりやすかった及川は、下級生だった頃の多くの日々を五厘刈りの頭で過ごした。デートの時には、恥ずかしくて頭を帽子で隠して難をしのいだという。
 だが、五厘刈りという短さには抵抗があったものの、普段から坊主であること自体に何ら抵抗は感じていなかった。厳しいルールは、「赤ちゃんが気がついたら立っていた」のと同じように、ごく当たり前のように受け継がれ、受け継いでいくものだったのだ。しばらく逡巡してから及川は答えた。
「僕がもし監督になったとしても、生徒を坊主にすると思います。高校生という年代を考えれば、規則でしっかり固められた中でこそ身につけられるものが多いと思うんです。社会人になる上での社会性とか」

 ただ、とつなぐ。
「規則が厳しいことと試合の中で自主性を持たせることは別だとも思います」
 試合に入ると、先輩後輩関係なく自分の判断で動こうという姿勢が大事になる。規則はあくまで普段の生活のなかだけだ。一方で、日常生活での考え方には深く影響をあたえる。
 及川の一つ上の代で、高校、大学と野球部に在籍したある男性はいう。
「規則が厳しいからこそ、どう先輩たちの目をくぐろうかと考えるから要領がよくなりますよね。部活をやっていた人を見ていると、力を抜くべき所と力を入れるべきところのさじ加減がよくわかっている。要領いい人が多いなと思いますよ」
 野球部で厳しい規則を体験した経験は、自分が仕事を効率的に進める上でも活きていると感じている。
 彼にも及川と同じ質問をぶつけてみた。
「僕が監督になったら坊主にしますね。規則が厳しいことが強さにつながるのかは分からない。けれど、日本人の性質を考えれば、髪の毛をそろえることと組織の一体感はつながると思います」   
強豪校の高校球児たちがほぼ100パーセントに近い割合で坊主である理由が集約されているかのような答えが返ってきた。

 一説によると、野球が坊主と結びついた背景には、明治以降の軍国主義との結びつきが挙げられる。転機は2つだった、と慶應義塾高校野球部の上田誠監督はいう。
「明治5年にウィルソンが今の東大(当時は開成学校)に野球を教え始めて、それがどちらかというとミッション系の学校、明治学院だとか青山学院、その次に慶應だとか師範学校に広まってものすごく盛んになった。当時の野球はエンジョイメントが中心で、見ていても面白い、やっても面白いスポーツだった。ところが早稲田がこれに十数年遅れを取った。それですぐアメリカへ行って、ヒットエンドランだとかカーブの投げ方を持ち帰ってやったもんだから、今度は他のチームがかなわない。明治の後半の一番強かった時代、この頃はまだプロが無くて学生しかなかった時代に早稲田がどういうことをやったのかっていうと、武士道とリンクさせたんだよね。旧禅一致っていう言葉で、とにかく365日血と汗と涙の修錬で野球というスポーツが成り立つとか、坊主だとか、自己犠牲、母校愛と結びつけた。その真似をした師範学校が全国に散っていって中学生や高校生を教え始めたから、全国に早稲田式の野球が広まった」

 そしてもうひとつの転機を戦後に挙げる。
「戦争が終わって多くの兵士たちが日本へ帰ってきた。ところが職が無い。そこで彼らのなかでスポーツをしていた人たちの職の先が、大学に当てられた。その時に軍隊式の規律とか理念とかがスポーツ界に植え付けられたんです。兵隊さんなんかは坊主だから、坊主もやらんかいみたいになって。バレーもバスケットもテニスもありとあらゆるスポーツが坊主頭に近い髪形になって大学スポーツは運営されるようになった」

 上田は上記の2点に「日本のスポーツ界の悲劇的なところがある」と話す。
 上田が大学生だった時代には、慶應と東大以外はみな坊主だったが、今では大学の体育会の選手には坊主頭が見当たらなくなった。一方で、依然として高校野球には坊主が受け継がれている。 
なぜなのか。

 上田は、背景には「国際社会から隔離された現状」があると話す。
「大学野球が日米大学野球をやったり世界大学野球選手権に出場したり、アマチュアとしてオリンピックに出たりとかブレザーを着ていて海外に行くとね、今でこそアメリカ人もファッションの一つとして坊主にしたりするけど、当時は囚人が坊主というイメージだからものすごく違和感を感じたのね。でしかもブレザーにネクタイ。昭和50、60年代とかそこからじゃないかなと思うんですよ。日本の大学野球も国際試合を意識し始めて、ずいぶんと坊主ではなくなったのが」
 実は高校野球連盟には規則があって、現在も高校が単独で国際試合を組むことは禁止されている。理由は資金力の差によって機会に差が開いてしまうからだ。国際試合審査室が唯一許すのは、姉妹校と県や国規模のピックアップチームのみである。
 きっかけは何年か前の特待生度の発覚だったという。ありとあらゆる資金を使って選手を集める方法は、さすがに高校野球界の度を超えていた。もしかしたらプロ野球以上にメジャーな高校野球界では、一律にしないと欲に付け込んでしまう人がいるため、これを転機に徹底して一律にせざるを得なくなったのだという。こうして中学校や軟式野球、社会人、もちろんプロも国際化が進む一方で、高校野球だけが国内に取り残されてしまう現状が生まれてしまったのだ。

 ところで、及川達とは正反対の答えが即行で返ってきたのは、慶應義塾高校を卒業し、昨シーズンまで大学でエースピッチャーとして活躍した中林だった。
「しないですね。坊主にするここと野球の強さは全く関係ないですから」
 上田率いる慶應義塾高校野球部は、全国でも数少ない長髪が許される強豪校だ。2年前、同じく長髪の仙台育英高校と並んで入場行進をした折には、甲子園に新風が吹き荒れたともいわれる。
かくいう中林は、中学校時代に坊主だったこともあって、楽さを優先させて高校時代も大半は坊主頭で過ごした。チームメイトのなかにも、各学年1名くらいは自ら坊主にする選手がいたという。髪の毛をどの長さにするのかは、完全に各個人の自由に委ねられていた。
 ところが、そのスタンスは他校には疎まれ、遠征や試合に行けばしょっちゅう聞こえるほどの声で悪口を言われた。とある近隣の強豪校にはいわれがあった。「頭では負ける。財力でも負ける。野球だけは慶應に負けない。」野球の試合に勝とうという思い以上のものが、相手校から伝わってきたという。中林の2個上の代では、負けた相手が試合後に激情して一線触発の乱闘が起きそうになった時もあった。
「強ければこの髪形でも認められる」
 自分たちは正しいと信じていた中林たちは、それをバネに利用して向上心へと変えた。事実、中林たちが3年生で甲子園に出場した年と、予選で敗退した代の年では悪口を言われる量も変化したという。生徒たちの思考を形成したのは上田だ。
「不思議ですね、卒業して大学に入ってから野球について話していると、自分の考えであるかのように上田監督の言葉が自分の言葉となって出てきていましたもん」
 上田イズム、すなわち慶應イズムは3年間で着実に部員たちに浸み込んでいるのだ。背景には大学に古くから伝わる理念があった。
 上田は、自身が高校生の時に頭にコンプレックスがあったと明かす。だから、好きな女の子に自分の後頭部を見られていると感じる坊主頭は、苦痛でしかなかった。そして当時から、坊主だということに拒否反応を起こして野球という素晴らしい競技に入ってこない高校生がいる現状に疑問を感じていた。
 そこで自身が監督になると、慶應で脈々と受け継がれている「エンジョイベースボール」の精神を前面に掲げた。
 野球は、本来は楽しいもの。楽しいからこそ強くなろうと練習し、自主的に努力する。その為に監督である自分は、生徒をある程度大人扱いし、生徒が自分で考えて答えをみつけて楽しめるような野球をしたい。

「なんかあまりにも世の中世知辛いでしょ、失敗させないようにって。我々教師っていうのは失敗させて、ほれみろ、っていうのが仕事だから。全部型にはめてやるんじゃなくて、自由にやらせといて時々切れるわけですよ。お前らを信用してきたのにそれだけの高い意識をもって練習に取り組んでるのか、と怒って。それを何回も何回も繰り返すわけですよね。エンジョイベースボール、みんな自由にやりましょう、なんて言って成功するわけ無くて、自由にやっていいよなんていうと何するか分からないわけですよ。ガツンと言っている程度抑えつけて、距離を置いていっていうのの繰り返しですよね、そうするとだんだんそんなことやらないでも意識の高い連中が育ってくるし、上手くいく時なんかは僕がやらなくても先輩が後輩に言って自分たちでミーティングやり始めてきちっと自分たちでルール作ってやろうやってなる。教師とか学校とかスポーツの指導者があんまり型にはめたんじゃ、それ以上抜けたやつもでてこないですよね。僕が無理やりやらせるよりも自分で考えて何時間もやった方が満足度も高いし自信になると思いますし」

 上田は他校の監督に言われることがある。慶應の生徒だから自主性に任せても成り立つのではないですか、と。
「それは全く違うと思うね。プロ野球で成功する人って必ずしも勉強やってた人ではないんだけどさ、自分で本読んで勉強して、で自分の練習方法何かを考えてやっている人ばっかりだと思うのね。だから、慶應じゃなくたって出来ると僕は思いますね」
 結局、と言葉をつなぐ。
「指導者も分かってないんじゃないかな。ないよね、こうだから坊主にさせていますっていう明確な理念が。理屈を自分で後付けで作っているような気がするね」
 私の中で点と点がつながった。
 坊主を強制する厳しい規則のなかに身を置くことも、自らで判断しろとある意味厳しい環境にほうり投げられることも、それぞれの3年間で学べることはたくさんあるだろう。どちらも強くなる。確かに髪形を揃えれば、一体感も生まれるだろう。社会性も見につくだろう。一方、他校との違いの中でのプライドが力になることもあるだろう。しかしそれらは後付けでしかないのだ。
 あるのは、坊主にしない明確な理念だった。
 ないのは、坊主にする明確な理念だった。
 
 坊主は好きだ。さわやかで、頑張っている気がして、応援したくなる。日本の大切な文化の一つでもある。
 いや、もしかしたら日本の高校野球界は、世界の中では井の中の蛙なのかもしれない。
 もしかしたら坊主を当たり前のように文化だと捉えていた私も、井の中の蛙だったのかもしれない。
 坊主が好きだ。
 球児が自ら選択する結果なら、きっと私は自信をもってそう言える。

[塾生]波多野詩菜



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